インタンジブルズと企業価値の考察
‐価値を造り出す論理の視点から‐

2022年5月30日
瀧口 匡

価値の抽出(extraction)と創造(creation)

統合報告書の目的の1つに、企業がインタンジブル(見えない経営資源)[1]に基づいて、如何に企業価値を造り出すかのストーリーを、ステーク・ホルダーに伝えていくことであることは周知のことである。この価値を造り出すストーリーでは、言葉の使い方ではあるが、企業価値の創造(creation)と表現されることが一般的である。しかし、少し視点を変えてインタンジブルズの研究を考察すると、価値を造り出すプロセスには、単に価値創造(creation)と言う概念だけではない。インタンジブルズの研究の論理を紐解くと、企業価値を抽出(extraction)する概念と創造(creation)する概念の2つが存在している[2]

例えば、ダイナミック・ケイパビリティの提唱者であるカリフォルニア大学のティース[3]は、インタンジブルズ等の経営資源から企業価値を抽出(extraction)するという表現を使用していることに留意しなくてならない。ティースのダイナミック・ケイパビリティの論理は、既存の経営資源を、環境変化に対応して再編成し相互に組み合わせるものであり、ここではゼロから価値を造り出す概念ではなく、インタンジブルズ等の経営資源から価値を抽出(extraction)するものである。また、インタンジブルズの著名な研究者であるニューヨーク州立大学のレブ[4]や戦略コンサルティングであるICMグループのサリバン[5]も同様に抽出(extraction)の概念を用いて、価値を造り出すことを論じている。

インタンジブルズの分類と定義

一方、フィンランドのハンケン大学のスヴェイビィ[6]は、The Invisible Balance Sheetを提唱し、インタンジブルズを顧客資本、個人資本、構造資本の3つに分類した。彼の主張では、企業価値を造り出すことを創造(creation)と定義している。また、スヴェイビィの活動に刺激を受け、インタンジブルズを知的資本(Intellectual Capital)と呼び整理したのがスウェーデンのエドビンソン[7]であるが、彼の理論においても創造(creation)の概念で主張が展開されている。余談になるが、エドビンソンの手法は、その後スカンディア生命のアニュアルレポートに採用されたことは広く知られている。また同様に、カナダ国際商業銀行の元教育プログラム担当者で現在トロント大学において教鞭を取るオンゲ[8]、バリューズ・テクノロジー社の創設者で人間の価値に注目したホール[9]、また、フォーチュン誌の元記者で知識マネジメントに焦点をあてたスチュアート[10]は、インタンジブルズ等の経営資源から企業価値を創造(creation)する立場である。

ティース教授、レブ教授、サリバン博士それぞれのアプローチ

それでは、何故、企業価値を抽出(extraction)する概念と創造(creation)する概念が存在するのであろうか。そこには、企業価値を造り出すことの背後にある、基本となる概念の相違があるのではないかと考えることができる。例えば、抽出(extraction)の概念であるティースのダイナミック・ケイパビリティの論理は、既に企業が所有する経営資源を再編成したり組み合わせたりする価値の造り方であり、その概念の背後にはゼロからの価値を造り出す創造の考え方ではない。また、レブはインタンジブルズを定量評価し資本市場との関係を明らかにしようとした会計分野の研究者であり、そのベースにあるものは既に価値を有するバランス・シートの概念が背後にある。同様に、サリバンは、研究においてインタンジブルズから如何に価値を取り出すかに焦点をあてており、ティースやレブ同様に抽出(extraction)の理論である。

人的資本と価値創造

一方、創造(creation)の概念の提唱者の一つの共通点は、人間の価値に重きが置かれていることが興味深い。例えば、スヴェイビィは人的資本の測定の重要性を世界で初めて提唱した人物であり、エドビンソンは知的資本(Intellectual Capital)の定義の中で人的資本(Human Capital)を明確に位置付けている。また、オンゲは学習がいかに人的資本に変化していくかに注目したり、ホールは人間の価値の理論に注目し個人と企業の価値の測定方法を研究したり、また、スチュアートはBrainpower(頭脳の力)の重要性を主張した。彼らの指摘は、人間の能力や価値によって企業価値が造り出されることに注目しており、そこに内在するものは、価値を造りだす創造の概念と言える。

統合報告との関係

これらから理解できることは、企業の経営資源から企業価値を取り出す考え方と、企業の経営資源を活用して人間が価値を創造する考え方の存在である。この考察の延長線上では、企業が価値を造り出すことを論ずる場合、インタンジブルズ等の経営資源から如何に価値を取り出すのか、また、人間や組織の能力によってインタンジブルズ等の経営資源を活用して如何なる価値を創造するのかを、区別して議論を行う必要性が見えてくる。したがって、統合報告書で価値を造り出すストーリーを考える場合、企業価値を抽出(extraction)する概念と創造(creation)する概念で論ずる必要がある可能性がある。しかしながら、一般的に価値という概念は、ある種あいまいな定義で使われることが多い現状下では、インタンジブルズの研究の差異を如何に実務に取り入れるかは、更なる議論が必要と考える。

 最後に、この企業価値の抽出(extraction)と創造(creation)の相違は、企業経営においては経営戦略の中や大企業とスタートアップの比較で確認することができるが、その議論は、次の機会に委ねたい。

著者 瀧口 匡 略歴 (2022年5月現在)

1986年野村證券に入社し、財務情報部や事業開発部等を歴任。その後、ベンチャーファンドやヘッジファンドのマネジメントを経て、2005年にウエルインベストメント(早稲田大学の提携ベンチャーキャピタル)の代表取締役社長に就任。知的資本の概念を取り入れ、グローバル市場で多くのベンチャー企業を支援してきた。また、2009年に現在の統合報告書の概念の基礎となったインタンジブルズの分野において早稲田大学で博士号を取得した後、早稲田大学ビジネススクール(WBS)で教鞭を取るなど早稲田大学客員教授を務める。

現在、WICIジャパン理事、日本ベンチャー学会理事、国立研究開発法人理化学研究所投資等委員、早稲田大学知的資本研究会副会長等を務める。早稲田大学ビジネススクール修了(MOT/MBA)、早稲田大学博士課程修了、学術博士・Ph.D.(国際経営専攻)。

(2022年5月30日原稿受信,一般社団法人WICIジャパン)


[1] ここではインタンジブルは、知的資産や知的資本等と同様の意味を有しており互換性のある概念として位置付けている。

[2] Ratrick H. Sullivan. Value-Driven Intellectual Capital. (John Wiley & Son, 2000).

[3] David J. Teece. カリフォルニア大学バークレイ校ハース・ビジネススクール教授。

[4] Baruch Lev. ミューヨーク州立大スターン経営教授。

[5] Patrick H. Sullivan. ICMグループの共同経営者。SRIインターナショナルの元戦略コンサルタント。

[6] Karl-Erik Sveiby. ハンケン・ビジネススクール名誉教授(ヘルシンキ、フィンランド)

[7] Leif Edvinsson. ルンド大学教授。

[8] Hubert St. Onge. SaintOnge Alliance創設者。トロント大学オットマン校。

[9] Brian Hall. サンタ・クララ大学元教授。Values Technology社の創設者。

[10] Thomas A. Stewart. オハイオ大学フィッシャー校のエグゼクティブ・ダイレクター。